東京見学レポート
6月5日(日)に上野、浅草、お台場などを巡った。この東京見学レポートでは、自分が担当した浅草について紹介します。
Part1浅草寺
浅草は、浅草寺という寺があります。東京見学でその浅草寺に行ったのですが、自分はここに来るのは3回目になります。しかし3回来て思ったのですが、とにかく人が多いんです。休日ということもあるのかもしれませんが。子供からお年寄りまで年齢層が幅広かったです。
雷門から浅草寺に行くまでの間には、いろいろなお店があります。そこも人がたくさんいました。歩いている途中誰かに踏まれたりもしました。その中でぼくは、人形焼を買いました。家に帰って食べたのですが、かなりおいしかったです。
さて、本堂では、三代将軍家光が1649年に再建し、約300年後の戦災で焼失するまで国宝に指定されていました。今の本堂は、1958年に再建されたものです。
浅草寺の歴史は葛西の歴史といってもいいほど火災にあっています。記録されているだけでも13回はあっています。江戸時代になって、人口の増加から住宅が密集し、大火事となりました。
浅草寺にはこんな俳句が残されています。
「提灯に釣鐘負ける浅草寺」
提灯奉納じゃ1795年の雷門再建の頃に始まり、どんどん大きくなっていきました。雷門はもちろんのこと本堂や出入り口にも提灯がたくさん奉納されています。あまり関係ないのですが、浅草寺からとなりにある花やしきの観覧車がみえました。ちなみに花やしきへほ1回だけ行ったことがあります。
Part2 雷門
雷門は、冊子にも書いてありましたが、100年近い間幻の存在となっていました。正式名称は、「風雷神門」といいます。
高さ11.7m、面積69.3m2あります。
提灯の裏側には、正式名の「風雷神門」の文字が大きく書かれています。
提灯の横には、それぞれ「雷神」と「風神」がそれぞれ奉られています。近くで見るとかなり迫力があります。
実は、この雷門も火災にあっています。その回数は江戸時代以前のものは不明ですが5回です。
ぼくらが行ったときも、多くの観光客が雷門を背景に撮っていました。この場所は観光客の絶好の撮影ポイントなのです。あとハトもいっぱいいました。
あとニュースで見たところによると、台風が来ると、提灯をしまうらしいのです。雷門の安全を守る為にやっているそうなのですが、提灯が閉じられていくところを見たときはビックリしました。あの大きな提灯がとじられていくんですからね。
実際まじかでみると、かなり大きいです。テレビによく映るのですが、テレビで見るよりはるかに大きく感じます。だからみんな見に来たりするんじゃないでしょうか。
Part3東京見学をして
上野、浅草、お台場というのは何回か来たことがあるのですが、ぼくの知らないところを行ったりして発見することがたくさんありました。上野は、静かなところを歩いたり、焼肉屋さんに入ったり、あまり体験できないようなことを体験できて新鮮でした。下町風俗資料館で昔のものを見れたり遊べたり、写真を見れたりして楽しかったです。
浅草には、餅屋さんやそば屋さんなどがありました。すごく「和」を感じました。入って食べたくもなりました。
船の科学館には、船に関することがいろいろあります。そのなかだ戦艦大和をみて「デケー」と思いました。船をラジコンで操作できるところがあったのですが、みんな楽しそうに操作していまし。
その後、船の科学館からりんかい線の東京テレポート駅まで歩いていったのですが、意外と空き地が多いことが気が付きました。
ここがお台場か?と思うほどでした。
東京見学は楽しかったです。しかし、けっこう歩いたり、乗り換えたりしたので疲れてしまい、翌日学校だったのですが、授業中かなり眠かったです。でも寝ないで耐えました。
編集 t05
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